ばらの思い出


※dagger‡2に掲載された小田原知保のエッセイ「ばらの思い出」の決定稿です。編集の手違いで、旧稿のまま本誌に掲載してしまったため、改めて最終稿をここに掲載します。申し訳ありませんでした。本誌と合わせてお楽しみいただければ幸いです。



 ばらの思い出

 前号のエッセイ冒頭で書いたとおり、私にはあまり格好のつくエピソードが無い。そんな私の幼少期の回想にまたお付き合いいただけたらと思う。

 私がばらに猛烈に憧れを抱いたのは確か、ディズニーのアニメ映画を見たのがきっかけだった。映画『美女と野獣』の野獣が住む城の一室。円卓にのった硝子ケースの中で赤みがかったピンクのばらがゆっくりと花弁を落としていく。その様を画面に食い入るようにみていたものだ。ばらは野獣の生命だったか、野獣を野獣の姿に変えた魔法の期限だったかを象徴していたのだと思う。その辺りの記憶はかなり曖昧だ。花弁がぜんぶ落ちてしまったら最後、野獣はさらに大変な境遇に陥ってしまうとだけ、私は多分、理解していた。
 メルヘンチックなばらを滅法気に入ってしまい、それからは『雪の女王』のカイとゲルダが住む家のばらの庭なんかを想像しては楽しんだ。本物の薔薇にはあまり興味がなかった。うちの鉢植えには赤い薔薇が一輪植わっていたけれど、野獣のばらのような繊細な色をしていなかったし、ファンタジーアニメ特有のきらきらを放っていなかったから。真っ赤な薔薇は花びらを開きすぎてしまい、ふてぶてしくもったりとした印象を私になげかけてくるばかりだった。

 しかし、ばらに心を奪われてからしばらくして、私は枯れてしまった鉢植えの薔薇を見つけて思わず駆け寄った。茶色く醜くなったばらの花を見たことがなかったものだから。硝子ケースに入っていた例のばらに似せようとして、私は薔薇を抜いてしまおうと思った。(花を抜こうと思ったのはこの時が初めてではない。それ以前に住んでいた家で、庭中のスイセンを根こそぎ両手いっぱいに抜いたことがある。)まともに茎をつかもうとしてしまったものだから、まだ柔らかかった私の手は刺さり傷が少々できてしまった。棘に戸惑いながらも、私は力をこめて、薔薇の棘に爪をたてた。すると、先端が赤黒く、緑がかった、透明な棘の表面がつるっととれた。それは固く、猫の爪のような形をしていた。薔薇の爪をとる作業に私はすっかり夢中になって、土から花にいたるまでの棘ひとつひとつに爪をたてていった。全工程を終えたあとの薔薇の茎は、もう触っても痛くなかった。
 結局花を手折ることはせずに、私はとれた薔薇の棘や、棘の爪だけを持って家に戻り、数日は、それらを下に敷いた枕に頭を乗せて眠った。


食用の薔薇なら捨ててしまいなさい水に浮かべる薔薇のさやけさ